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平成26年度豊丘村成人式(1月3日)
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新成人の皆さん 明けましておめでとうございます。いよいよこの伊那谷にリニアの槌の音が響きだしたリニア元年と呼ぶにふさわしいこの平成27年に、まさに成人式を迎える皆さん、新成人、誠におめでとうございます。またお子様たちをこのように立派に育て上げられました親御さんたちに敬意を表させていただきます。
今日から成人となったので急に大人らしく振舞ってくださいなどやぼな訓示をするつもりはありませんが、少年、少女Aではなくなることはご存じのとおりです。
リニア中央新幹線についてすこし触れさせていただきます。古代7道のひとつ、東山道が伊那谷を通過したのは西暦700年ころと言われています。大化の改新が645年に起き中大兄皇子や中臣鎌足が曽我氏を滅ぼし、それまでは豪族がそれぞれに各地を治めていたものを、天皇中心の政治へと切り替えました。
この改革により日本を一つの国として発展させるために、国策として、東海道や北陸道、東山道、山陰道、山陽道、などの7つの国道が建設されました。東山道も都の近くは広いところで幅が24メートルから42メートルもあったそうです。地方でも6メートルから12メートルもの幅があるところもあったそうです。信濃の国には駅が15ありそれぞれの駅には馬が10頭ほど配置され、地方でなにかあれば馬を飛ばしてその日のうちに都へ情報が届いてしまうという、当時とすれば超高速道でした。
その約1300年後、世界初の超高速リニアがこの伊那谷を通過することになりました。そしてご存知の方も多いと思われますが、なんとその駅の建設予定地が東山道の伊那郡の駅であった恒川官衙遺跡に見事ぶつかりました。そのためリニアの路線を少し南に振ったのです。
天竜川は昔から日本の東西の文化の結節点を流れ断絶の川とも言われます。たとえば雑煮のおもちは天竜川の西側ではまるく、東側では四角い、年取りの魚は西側がブリ、東側が鮭と言われてきました。
まさに東京と大阪を約1時間で結ぶリニア中央新幹線は東山道開通以来の千載一遇のチャンスをこの豊丘村の位置する伊那谷に与え、またそのことは、伊那谷が位置するこの地域とすれば日本の地勢上の必然であったのです。
12年後の2027年には品川、名古屋間が、開通の予定です。将来は東京、名古屋、大阪を1時間で結ぶスーパーメガリージョン、巨大都市圏を構成し、そのど真ん中に伊那谷が組み込まれることになります。
多分開通後、年を経るごとに凄まじい変化にさらされて行くことになると予測します。しかしその変化は世界でもまれにみるような、住んでいる人にとって素晴らしいものにして行かなくてはなりません。その為には今からしっかりと将来を見据えて、人生を明るく楽しく、元気に送ってください。私たち先輩も未来の伊那谷のために頑張ります。
最後に若い君たちに、いつまでも若く充実した人生を送っていただきたく、サミエル・ウルマンの青春の詩を送ります。
青 春
サミュエル・ウルマン
邦訳 岡田 義夫
青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞(たくま)しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶(くもん)や、狐疑(こぎ)、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(あたか)も長年
月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰(いわ)く「驚異への愛慕心」、「空にひらめく星晨(せいしん)」、「その輝きにも似たる
事物や思想に対する欽仰(きんぎょう)」、「事に處(しょ)する剛毅(ごうき)な挑戦」、「小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味」。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして
偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲歎(ひたん)の白雪が人の心の奥までも蔽(おお)いつくし、
皮肉の厚氷(あつごおり)がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ
人は全くに老いて、神の憐(あわ)れみを乞うる他はなくなる。
(脚注) 怯懦:おくびょうで気の弱いこと
狐疑:疑ってためらうこと
芥に:ごみ(に)
星辰:星のこと、辰は天体のこと
欽仰:つつしみあおぐこと
剛毅:意志が強固で不屈なこと
悲歎:悲しみ嘆くこと
人生一度だけです。前向きにいきましょう。
平成27年 1月3日 豊丘村長 下平喜隆